覚え帳 › ギリシア・ローマの神々 › 第3部 英米へ

第11章

神話はどう伝わったか

ローマ帝国がキリスト教の国になったあと、古い神々は祈られなくなった。それでも神話は消えず、学校の教材として、絵画や詩の題材として、千数百年をかけて英国とアメリカに届いた。この章では、その長い道のりをたどる。英語でギリシアの神がしばしばローマ名で呼ばれるのも、この道のりの結果である。

第2部から第3部へ

第2部では、ローマ人がギリシアの神々を自分たちの神に重ね合わせ、ウェルギリウスやオウィディウスがそれをラテン語の詩に仕立てたところまでを見た(第8章、第10章)。この重ね合わせの結果、地中海の西半分では、ギリシアの神々の物語がラテン語とローマの神の名で語られるようになった。

ここで押さえておきたいのは、帝国の東と西で言葉が分かれていたことだ。東半分ではギリシア語が使われ続けたが、西半分の教養の言葉はラテン語だった。のちに英国やフランスとなる地域は西に属する。だから西ヨーロッパの人々が神話に触れるとき、その入口はホメロスのギリシア語ではなく、ウェルギリウスやオウィディウスのラテン語だった。この事情が、千年以上たっても英語に影を落としている。

第3部の2つの章では、神話が英米へ届く道のりと、英語に残った痕跡を順に見ていく。この章は「どう伝わったか」、次の第12章は「何が残ったか」を扱う。

キリスト教の時代:祈られなくなった神々

313年、コンスタンティヌス帝らがキリスト教を公認した。4世紀末にはテオドシウス帝のもとで、古い神々への犠牲や神殿での祭儀が禁じられていく。オリュンポスの神々は、国家が祈る神々から、祈ってはならない「異教の神々」へと立場を変えた。

キリスト教の側は、古い神々を二通りに説明した。ひとつは、神々の正体は人を惑わす悪霊だという見方である。もうひとつは、神々はもともと偉大な人間で、死後に神として祭られたにすぎないという見方だ。後者はヘレニズム時代のギリシアの著述家エウヘメロスの考えにさかのぼるので、エウヘメリズムと呼ばれる。5世紀初めのアウグスティヌスは『神の国』で、ローマの神々を詳しく取り上げて批判した。

それでも神話は消えなかった。理由はいくつかある。第一に、ラテン語の詩が教育の柱だったことだ。読み書きや弁論を学ぶには、ウェルギリウスやオウィディウスを読むのが当たり前だった。アウグスティヌス自身、『告白』の中で、少年の頃にカルタゴの女王ディドの死を読んで涙したと振り返っている。キリスト教徒になっても、教養ある人はみな異教の詩で言葉を学んでいたのである。

第二に、寓意(アレゴリー)として読む方法があった。寓意とは、物語の表面の下に別の意味が隠されていると考える読み方だ。神々の恋や争いをそのまま信じるのではなく、道徳の教えや自然の働きのたとえとして読めば、キリスト教徒でも安心して読める。5世紀末から6世紀にかけて活動したフルゲンティウスは、神話を一つひとつ道徳の寓意として解き明かす本を書いた。ウェルギリウスの『牧歌』第4歌にある「生まれてくる子」の予言は、キリストの誕生を告げたものとして読まれ、ウェルギリウスは半ば預言者のように扱われるほどだった。

修道院と写本、曜日、中世のオウィディウス

第三の理由は、修道院での写本である。印刷術のない時代、本は手で書き写さなければ残らない。中世の修道院では、聖書や教父の著作と並んで、古代ローマの詩や歴史も書き写された。とくに9世紀前後のカロリング朝の時代には古典の写本づくりが盛んになり、現在に伝わる古代ラテン文学の多くは、この時期の写本を経由している。神話は、修道士の手で守られたことになる。

第四に、神々の名は天と暦に組み込まれていた。肉眼で見える5つの惑星は、ローマの神の名で呼ばれていた。メルクリウス(Mercury)、ウェヌス(Venus)、マルス(Mars)、ユピテル(Jupiter)、サトゥルヌス(Saturn)である。これに太陽と月を加えた7つの天体が、1週間の7日に割り当てられた。この曜日の名はキリスト教の時代にも使われ続け、天文学や占星術とともに中世へ受け継がれた。英語の曜日がどうなったかは次の章で見る。

中世の後半、とくに12〜13世紀には、オウィディウスが大いに読まれた。この時期を「オウィディウスの時代」と呼ぶ研究者もいる。『変身物語』は神話の物語集として便利だったうえ、恋の詩は宮廷の恋愛文学に影響を与えた。14世紀のフランスでは『教訓付きオウィディウス』(Ovide moralisé)が作られ、変身の物語の一つひとつにキリスト教の寓意が添えられた。神話は「教訓つきで読むもの」として、堂々と読まれていたのである。

14世紀初めのイタリアでは、ダンテが『神曲』で、地獄と煉獄の案内役にウェルギリウスを選んだ。キリスト教の世界を描く詩の道案内が、異教の詩人なのだ。中世の人々にとって、古代の詩人は信仰の外にいる敵ではなく、尊敬すべき先生だった。

ルネサンス:ギリシア語と絵画と手引き書

14世紀から16世紀にかけて、イタリアを中心にルネサンスが起こる。ルネサンスとは「再生」の意味で、古代ギリシア・ローマの学芸をよみがえらせようとする動きを指す。

大きな変化のひとつは、ギリシア語の学びの復活だった。西ヨーロッパでは中世のあいだ、ギリシア語を読める人はごく限られていた。ホメロスも、名前は知られていても原文で読む人はほとんどいなかった。1397年、ビザンツ帝国の学者マヌエル・クリュソロラスがフィレンツェでギリシア語を教え始める。1453年にコンスタンティノープルが陥落する前後には、東から学者や写本が西へ移った。15世紀後半には印刷術が広まり、ヴェネツィアのアルドゥス・マヌティウスらがギリシア語の古典を次々に印刷した。ホメロスやヘシオドス、ギリシア悲劇が、西ヨーロッパでも原文で読めるようになっていく。

もうひとつの変化は、神話が絵画と彫刻の主役になったことだ。中世の絵画の題材はほとんどが聖書と聖人だったが、ルネサンスの画家は神話の場面を大きく描いた。よく知られるのが、1480年代にフィレンツェでボッティチェリが描いた『ヴィーナスの誕生』である。海から生まれた女神が貝殻に乗って岸に着く場面で、女神はラテン語のウェヌス、英語でヴィーナスの名で呼ばれている。同じ画家の『春(プリマヴェーラ)』にも、ウェヌスやメルクリウスが描かれる。16世紀のヴェネツィアでは、ティツィアーノがオウィディウスの物語を題材に連作を描いた。

画家や詩人のために、神話の手引き書も作られた。14世紀にはボッカッチョが、異教の神々の系譜をまとめた『異教の神々の系譜』を書いている。16世紀後半には、イタリアのナターレ・コンティの『神話学』などが出て、神々の系譜や持ち物、寓意の意味を引ける便利な本として、ヨーロッパ中で使われた。こうした手引き書はラテン語で書かれ、神々をローマの名で呼んでいた。

英国へ:チョーサー、シェイクスピア、ミルトン

英国で神話を英語の文学に取り込んだ早い例が、14世紀後半のチョーサーである。『トロイルスとクリセイデ』はトロイア戦争を背景にした恋の物語で、『カンタベリー物語』の「騎士の話」では、ウェヌス、マルス、ディアナ(Diana)の神殿が登場する。どちらもボッカッチョのイタリア語の作品をもとにしている。チョーサーが神話に触れた入口は、ラテン語やイタリア語、フランス語の本だった。

16世紀の英国では、グラマースクールと呼ばれる学校でラテン語が徹底的に教えられた。グラマー(文法)とはラテン語の文法のことで、生徒はオウィディウスやウェルギリウスを読み、ラテン語で作文をした。1567年には、アーサー・ゴールディングによるオウィディウス『変身物語』の英訳が完成している。こうして英国の書き手と観客は、神話をローマの名とラテン語の詩を通じて知るようになった。

シェイクスピア(William Shakespeare)も、この教育を受けた世代である。同時代の劇作家ベン・ジョンソンは、シェイクスピアは「ラテン語は少し、ギリシア語はもっと少し」しか知らなかったと書いた。それでもシェイクスピアの作品には神話があふれている。1593年の物語詩『ヴィーナスとアドーニス』は、オウィディウスの話をもとに、女神ウェヌスが美少年アドニスに恋する物語だ。

喜劇『夏の夜の夢』では、アテネの領主テセウス(Theseus)の婚礼が舞台になる。職人たちが演じる劇中劇「ピュラモスとティスベ」も、『変身物語』から取られた話である。妖精の王が使う惚れ薬の花は、キューピッドの矢が当たって色が変わった花だと語られる。キューピッドはエロス(Eros)のローマでの名クピドの英語読みだ。悲劇『マクベス』には、魔女たちを率いる冥界の女神ヘカテ(Hecate)が登場する。ただしヘカテの場面は、別の劇作家が後から加えたとする説もある。晩年の『テンペスト』では、魔法で呼び出されたユノ、ケレス、イリスが若い二人の婚約を祝う。

17世紀のミルトン(John Milton)は、1667年に叙事詩『失楽園』を出した。テーマは聖書のアダムとイブの堕落だが、詩の冒頭は「天のムーサよ、歌え」という呼びかけで始まる。叙事詩の始めにムーサ(Muses)に呼びかけるのは、ホメロスとウェルギリウス以来の決まりである。ミルトンはこの古代の型を使いながら、呼びかける相手を聖書の神に仕える天の詩神へと置き換えた。また第1巻では、のちに異教の神々として崇められることになる堕天使たちが列挙され、その中にはギリシアの神々も含まれる。キリスト教の詩人は神話を退けながら、同時にその形式と言葉を受け継いでいた。

18世紀初めには、詩人アレグザンダー・ポープがホメロス『イーリアス』を英語の韻文に訳した。英国でもギリシアの叙事詩が広く読まれる時代が近づいていた。

ロマン派:プロメテウスの時代

18世紀末から19世紀前半のロマン派の詩人たちは、ギリシアに特別な憧れを抱いた。1816年には、アテネのパルテノン神殿から持ち出された彫刻群(いわゆるエルギン・マーブル)が大英博物館に収められ、人々は古代ギリシアの彫刻を直接目にするようになった。

キーツ(John Keats)は、ギリシア語をほとんど読めなかった。それでも英訳や古典辞典を通して神話を学び、月の女神に愛された羊飼いを歌う『エンディミオン』、ティターン族の没落を描く『ハイペリオン』を書いた。1819年の「ギリシアの壺に寄せるオード」や「プシュケーに寄せるオード」は、英語の詩の中でも特によく読まれる作品である。

ロマン派がもっとも好んだ神話の人物は、プロメテウス(Prometheus)だった。神々から火を盗んで人間に与え、罰として岩に縛られるティターン族の神である。権力に逆らい、人間のために苦しむ姿が、自由を求める時代の気分と重なった。バイロン(Lord Byron)は1816年に詩「プロメテウス」を書いた。P. B. シェリー(Percy Bysshe Shelley)は1820年に詩劇『解き放たれたプロメテウス』を出し、圧政を象徴するユピテルが倒れ、プロメテウスが解放される物語に作り変えた。

そのシェリーの妻メアリー・シェリー(Mary Shelley)は、1818年に小説『フランケンシュタイン、あるいは現代のプロメテウス』を出版した。生命を作り出してしまった科学者を「現代のプロメテウス」と呼んだこの副題は、人間に新しい力をもたらす者が同時に苦しみも背負う、という神話の読み方を近代科学に当てはめたものだ。バイロンは1824年、オスマン帝国からの独立を目指すギリシアの戦争に加わる中で病没した。ロマン派にとってギリシアは、本の中の古代であると同時に、現実の自由の問題でもあった。

ヴィクトリア朝とアメリカ:読みやすい神話の本

19世紀の英国では、テニスン(Alfred Tennyson)がオデュッセウス(Odysseus)を題材にした詩「ユリシーズ」を1842年の詩集で発表した。ユリシーズは、オデュッセウスのラテン語名ウリクセスから来た英語の呼び名である。故郷に帰った老英雄が、もう一度旅に出ようと仲間に呼びかける詩で、結びの一行は今も演説などで引かれる。テニスンには、永遠の命を得たが若さを失ったティトノスを歌う詩「ティトノス」もある。

大西洋の向こうのアメリカでは、神話を一般の読者に向けて語り直す本が生まれた。1855年、ボストンの銀行員だったトマス・ブルフィンチが『ギリシア・ローマ神話』(原題 The Age of Fable)を出す。ブルフィンチは、文学や会話に出てくる神話の言及が分かるようにすることを目的に掲げた。神々は主にローマ名で呼ばれている。この本は長く版を重ね、アメリカで神話に触れる入口となった。同じ頃、作家ナサニエル・ホーソーンも子ども向けに神話を語り直した本を出している。

この時代には、ギリシア語の原典にじかに触れる人も多くなった。それにつれ、英語の本でもゼウス、アフロディテのようなギリシア名を使うことが増えていく。

20世紀以降:心理学、小説、映画、宇宙

20世紀に入ると、神話は新しい分野で使われ始める。精神分析を始めたフロイトは、父を殺して母と結婚したテーバイの王オイディプス(Oedipus)の名を借りて「エディプス・コンプレックス」という言葉を作った。自分の姿に恋したナルキッソス(Narcissus)からは「ナルシシズム」が精神分析の用語になった。神話は、人の心を説明する言葉として生まれ変わったのである。

文学では、アイルランドの作家ジョイス(James Joyce)が1922年に小説『ユリシーズ』を出した。ダブリンのある一日を、『オデュッセイア』の構成に重ねて描いた作品である。同じ年に出たT. S. エリオットの詩『荒地』にも、神話の予言者テイレシアスが現れる。

アメリカでは1942年、イーディス・ハミルトンの『ギリシア・ローマ神話』(原題 Mythology)が出版された。古代の原典に立ち返ることを重んじ、神々を主にギリシア名で呼んでいる。この本はブルフィンチと並んで、アメリカの学校で長く読まれてきた。

映画や小説も神話を語り直し続けている。1963年の映画『アルゴ探検隊の大冒険』、1981年の『タイタンの戦い』、1997年のディズニー映画『ヘラクレス』などがある。2005年に始まったリック・リオーダンの「パーシー・ジャクソン」シリーズは、現代のアメリカに神々の子どもたちが生きているという設定で、若い読者に神話を広めた。主人公パーシーの本名はパーシアス(Perseus)で、英雄ペルセウス(Perseus)から取られている。

宇宙開発も神話の名を使った。アメリカ航空宇宙局(NASA)の有人宇宙計画は、翼のある伝令の神の名を取ったマーキュリー計画に始まり、ふたご座から名づけた2人乗りのジェミニ計画、月を目指したアポロ計画へと続いた。21世紀の月探査計画は、アポロン(Apollo)の双子の姉妹の名を取ってアルテミス計画と名づけられた。古代の神々は、宇宙の言葉にもなったのである。

なぜ英語ではローマ名で呼ぶのか

ここまでの流れをたどると、英語でギリシアの神がしばしばローマ名で呼ばれる理由が見えてくる。西ヨーロッパの人々は、千年以上ものあいだ、神話をラテン語で学んできた。教科書はウェルギリウスとオウィディウスであり、手引き書もラテン語で書かれ、英訳もラテン語の詩から作られた。そこでは神々はユピテル、ウェヌス、メルクリウスと呼ばれていた。

だから英語の詩や劇では、ゼウスは Jove や Jupiter、アフロディテは Venus、エロスは Cupid、ヘラクレス(Heracles)は Hercules、オデュッセウスは Ulysses と呼ばれた。惑星の名も、ローマ時代からのラテン語の名をそのまま受け継いでいる。ギリシア語の原典にじかに当たることが広まったのはルネサンス以降で、ギリシア名が一般向けの本に増えたのはさらにあとのことだ。

その結果、今の英語では二つの呼び方が並んでいる。昔からの言葉や文学、天体にはローマ名が残り、神話の解説書ではギリシア名が使われることが多い。どちらの名を使っているかを見れば、その言葉がどの時代に、どの道を通って英語に入ってきたかの手がかりになる。両者の対応は付録のギリシアとローマの対応表で確かめられる。

この章のまとめ

キリスト教がローマ帝国の宗教になると、古い神々は祈られなくなった。それでも神話は、ラテン語教育の教材として、寓意として読まれる物語として、修道院の写本として、そして惑星と曜日の名として生き延びた。ルネサンスはギリシア語の原典と神話の絵画をよみがえらせ、英国ではチョーサー、シェイクスピア、ミルトンが、ラテン語の教養を通じて身につけた神話を英語の文学に取り込んだ。ロマン派はプロメテウスに自由の象徴を見いだし、アメリカではブルフィンチやハミルトンの本が神話を一般の読者に届けた。

この道のりの大部分がラテン語経由だったため、英語では今もギリシアの神がローマ名で呼ばれることが多い。次の第12章では、こうして英語に入った神々の名が、単語、暦、天体、慣用句、アメリカの象徴のなかにどう残っているかを見ていく。

出典

年代は定説の幅で書いています。作品の成立年には諸説あるものがあります。

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