覚え帳 › ギリシア・ローマの神々 › 第2部 ローマの神々
第10章
ローマには建国の物語が2つある。トロイアから逃れてきた英雄アエネアスの物語と、雌狼に育てられた双子ロムルスとレムスの物語である。この章では、2つの物語がどうつながれたのかをたどり、それを語り継いだウェルギリウス、オウィディウス、リウィウスを紹介する。彼らのラテン語の作品こそが、後の西洋がギリシア・ローマの神話を知る主な窓になった。
前の章で見たように、ローマ古来の神々には物語が少なかった。しかし国が大きくなるにつれ、ローマ人は自分たちがどこから来たのかを語る物語を必要とした。とくにギリシアの文化に触れると、その思いは強くなる。ギリシア人には、ホメロスの英雄たちにさかのぼる長い過去があった。ローマも、それに見劣りしない過去を持ちたかったのである。
こうしてローマには、性格の違う2つの建国神話がそろうことになった。一つは、トロイアの王族アエネアス(Aeneas)が、滅びた町から逃れてイタリアにたどり着いたという話である。これはローマをギリシア神話の世界、つまりトロイア戦争の物語につなぐ。もう一つは、軍神の子ロムルス(Romulus)が双子の弟レムス(Remus)とともに育ち、ローマの町を築いたという話である。こちらはローマの土地に根ざした話で、町の名もロムルスから来たとされる。
2つの話は、もともと別々に語られていたと考えられる。両方を生かすには、どちらかを捨てるのではなく、一本の系図につなげばよい。ローマの人々はそう考えた。アエネアスはローマの町そのものを築いたのではなく、その遠い祖先になった。そしてアエネアスの子孫からロムルスが生まれた、という形にまとめられたのである。
ローマ人が自分の国の歴史を書き始めたのは、意外に遅い。最初のローマ人の歴史家とされるファビウス・ピクトル(Fabius Pictor)は前3世紀の末に、それもギリシア語で書いた。ギリシア語で書いたのは、ギリシア語圏の読者にローマを説明するためだったと考えられている。建国の物語は、こうしてギリシア世界に向けて形を整えていった。
アエネアスは、女神ウェヌス(Venus)とトロイアの王族アンキセス(Anchises)の子である。ホメロス『イーリアス』にも登場するが、そこでは主役ではない。むしろ、危ういところを神々に救われる武将として描かれる。アキレウス(Achilles)との戦いで追いつめられたとき、海の神ポセイドン(Poseidon)が彼を救い出し、アエネアスとその子孫がやがてトロイア人を治めるだろうと語る。トロイアが滅びても、アエネアスの血筋は残る。後のローマの物語は、この一節を足がかりにしたといえる。
ローマで語られた物語は、トロイア落城の夜から始まる。燃えさかる町の中で、アエネアスは老いた父アンキセスを背負い、幼い息子アスカニウス(Ascanius)の手を引いて逃れる。父の手には、家の守り神ペナテス(Penates)の像が抱えられていた。妻のクレウサは途中ではぐれて命を落とす。父と子と家の神々を守って逃れるこの姿は、ローマ人が大切にした務めの心、ピエタスを形にしたものだった。
生き残ったトロイア人を船に乗せ、アエネアスは新しい国を求めて長い旅に出る。途中、北アフリカの町カルタゴに流れ着き、女王ディド(Dido)に迎えられる。ディドはフェニキアの町テュロスから逃れてきて、カルタゴを築いた女王だった。2人は愛し合うが、神々はアエネアスにイタリアへ向かえと命じる。アエネアスが去ると、ディドは自ら命を絶つ。
イタリアに着いたアエネアスは、ティベリス川の河口に近いラティウム地方に上陸する。土地の王ラティヌス(Latinus)は娘ラウィニア(Lavinia)を彼に与えようとするが、ラウィニアと結婚するはずだった近隣の王トゥルヌス(Turnus)がこれに怒り、戦いが起こる。最後にアエネアスがトゥルヌスを討ち、トロイア人と土地の人々は一つになる。アエネアスはラウィニアを妻に迎え、彼女の名にちなんだ町ラウィニウムを築いたと伝えられる。
アエネアスの物語とロムルスの物語を一本につなぐには、一つ問題があった。年代が合わないのである。ギリシアの学者たちはトロイアの落城をずっと昔の出来事と考えていた。一方、ローマの建国は伝承では前753年とされる。両者のあいだには数百年の開きがあった。
このすき間を埋めたのが、アルバ・ロンガの王たちである。アエネアスの子アスカニウスは、ラウィニウムを離れて新しい町アルバ・ロンガを築いた。その後、この町で何代もの王が続いたとされる。王たちの名を並べた系図も伝わっているが、それは年代のすき間を埋めるために後から整えられたものと考えられている。なおアスカニウスは別名をユルスといい、カエサルの属したユリウス家は、この名を通じて自分たちがアエネアスとウェヌスの子孫であると名のった。
その王統の終わり近く、アルバ・ロンガの王位をめぐって兄弟が争った。弟のアムリウスは兄ヌミトルを追い出して王になり、兄の娘レア・シルウィア(Rhea Silvia)を、結婚を許されないウェスタの巫女にした。兄の血筋を絶やすためである。ところがレア・シルウィアは双子を産み、父は軍神マルス(Mars)だと告げた。歴史家リウィウス(Livy)は、彼女が本当にそう信じたのか、それとも神を父とするほうが罪が軽く見えたからなのか、と書き添えている。
アムリウスは双子を川に流させた。双子を入れたかごは、あふれたティベリス川の岸に打ち上げられた。泣き声を聞きつけた雌狼が乳を与え、やがて羊飼いのファウストゥルスが2人を見つけて育てた。リウィウスは、ここでも別の見方を紹介している。ラテン語で「雌狼」を意味する語は、身持ちの悪い女を指す言葉でもあったので、実は羊飼いの妻がそう呼ばれていたのだ、というのである。
成長した双子は、自分たちの生まれを知り、アムリウスを倒して祖父ヌミトルを王位に戻した。そして自分たちが拾われた土地に、新しい町を築くことにした。どちらが町の名を付け、王となるかは、鳥占いで決めることになった。レムスはアウェンティヌスの丘で先に6羽のハゲワシを見た。ロムルスはパラティヌスの丘で、遅れて12羽を見た。先に見たか、数が多いかで両者は譲らず、争いになった。
レムスの死には、2つの伝えがある。一つは、この争いの中で殺されたというもの。もう一つは、ロムルスが築き始めた城壁を、レムスがあざけって跳び越えたため、怒ったロムルスに殺されたというものである。このときロムルスは「今後、わが城壁を越える者はみなこうなる」と言ったとされる。ローマの建国は、兄弟殺しから始まったのである。
建国の年とされる前753年は、ローマの学者ウァロ(Varro)の計算にもとづく年で、古代にはほかの計算もあった。建国の日は、牧畜の祭りパリリアが行われた4月21日とされ、今もローマの誕生日として祝われている。リウィウスによれば、前296年には、雌狼が双子に乳を与える像がローマに置かれた。物語はそのころには、すでに町の象徴になっていたのである。
では、史実としてはどうか。パラティヌスの丘では、前8世紀頃にさかのぼる鉄器時代の小屋の跡が見つかっており、そのころ丘の上に人々が暮らしていたことは確かめられている。しかし、それはロムルスという人物が実在したことを示すものではない。ロムルスとレムスの物語は、町の始まりを説明するために語られた伝承として読むのがよい。
町はできたが、住む人が少なかった。ロムルスは、行き場のない人々を受け入れる避難所を設けて人を集めた。けれども男ばかりで、妻になる女性がいない。近くの町々に結婚の約束を申し込んだが、どこも新しい町を見下して断った。
そこでロムルスは祭りを開き、近隣の人々を招いた。とくにサビニ人は家族そろってやって来た。見世物が始まったところで合図が出され、ローマの若者たちはサビニ人の娘たちを奪った。これが「サビニの女たちの略奪」として知られる話である。怒ったサビニ人は兵を挙げてローマに攻め寄せた。
戦いが町の中心で激しくなったとき、奪われた女たちが髪を振り乱して両軍のあいだに割って入った。片方には父や兄弟が、もう片方には今の夫がいる。どちらが死んでも自分たちは家族を失う、と彼女たちは訴えた。両軍は剣を収め、ローマとサビニ人は一つの国になった。サビニ人の王ティトゥス・タティウスは、しばらくロムルスとともにローマを治めたとされる。この場面は、のちのヨーロッパの画家たちがくり返し描いた題材になった。
ロムルスの最期は不思議なものとして語られる。マルスの野で兵を検閲していたとき、急に嵐が起こり、雲に包まれたロムルスは姿を消した。やがてプロクルス・ユリウスという人物が、天から降りてきたロムルスに会ったと告げた。ロムルスは、ローマが世界の都になることを告げたという。こうしてロムルスは神クィリヌス(Quirinus)として祀られた。ただしリウィウスは、元老院の議員たちが王を殺したのだという噂がひそかにあったことも書き残している。
2代目の王に選ばれたのは、サビニ人の町クレスに住むヌマ・ポンピリウス(Numa Pompilius)だった。ロムルスが戦いの王なら、ヌマは祈りの王である。リウィウスは、武力で築かれた新しい町を、ヌマが法と慣わしによって築き直そうとしたと書いている。ヌマは、泉の女神エゲリアと夜ごとに会って助言を受けていると人々に語り、神々への畏れによって荒々しい民をまとめようとした。
ヌマが定めたとされる宗教のしくみは多い。1年を月の満ち欠けに合わせて12か月に分けた。ユピテル(Jupiter)、マルス、クィリヌスの3柱にそれぞれ専属の大神官を置き、かまどの女神ウェスタ(Vesta)に仕える巫女たちを置いた。神官の長を定め、祭りの手順を記させた。ヤヌス(Janus)の神殿を平和と戦争のしるしとしたのもヌマで、その治世には扉が閉じられていたと伝えられる。前の章で見た神々の祀り方の多くは、こうしてヌマの名に結びつけられた。
ヌマはギリシアの哲学者ピュタゴラスに学んだという言い伝えもあった。しかしリウィウスは、ピュタゴラスはヌマよりずっと後の時代の人だとして、これをはっきり退けている。古代の歴史家も、伝承のすべてをそのまま信じていたわけではなかった。
アエネアスの物語を決定的な形にしたのは、詩人ウェルギリウス(Virgil)である。前70年に北イタリアのマントウァの近くで生まれ、前19年に没した。牧人の歌『牧歌』、農業の詩『農耕詩』を書いたのち、晩年の10年ほどを『アエネーイス』に注いだ。
時代は、内乱が終わり、アウグストゥス(Augustus)が初代皇帝として権力を固めたころである。アウグストゥスはカエサルの養子であり、ユリウス家の一員として、アエネアスとウェヌスの子孫を名のる立場にあった。『アエネーイス』は、その皇帝のもとで、ローマの始まりを壮大な叙事詩として語り直した作品だった。
全12巻のうち、前半の6巻はアエネアスの放浪を、後半の6巻はイタリアでの戦いを描く。前半はホメロスの『オデュッセイア』に、後半は『イーリアス』にならった形である。トロイア人を憎む女神ユノ(Juno)が嵐を起こし、アエネアスがカルタゴに流れ着く場面から始まる。第2巻ではアエネアス自身がディドにトロイアの落城を語り、第4巻ではディドとの恋と別れが描かれる。
この詩の主人公は、アキレウスのような激しい英雄ではない。アエネアスはしばしば「敬虔なアエネアス(pius Aeneas)」と呼ばれる。神々と父と祖国への務め、ピエタスを何より重んじる人である。ディドを愛しながら、神々の命令に従って彼女を捨てて船出するのも、そのためである。個人の幸せより使命を選ぶ英雄は、ローマ人の理想を映していた。
しかし詩人は、その代償も描いた。捨てられたディドは、アエネアスの子孫とカルタゴの民がいつまでも敵どうしであるよう呪い、自分の骨から復讐者が生まれよと叫んで死ぬ。読者のローマ人は、ここにハンニバルとの戦争を読みとった。後にキリスト教の教父アウグスティヌスが、若いころディドの死に涙したと『告白』で振り返っているように、この場面は多くの読者の心をとらえた。
第6巻で、アエネアスは巫女に導かれて冥界へ下り、父アンキセスの霊に会う。父は、これから生まれるローマの英雄たちの魂を息子に見せ、ローマ人の務めは、民を治め、平和の掟を定め、従う者は許し、おごる者は戦って倒すことだと告げる。第8巻では、鍛冶の神ウルカヌス(Vulcan)が作った盾に、ローマの未来の歴史が刻まれ、その中央にはアウグストゥスがアクティウムの海戦で勝つ場面が描かれる。神話の時代から皇帝の時代までが、一つの物語で結ばれているのである。
ウェルギリウスは詩を完成させないまま世を去った。完成していない作品を焼いてほしいと願ったと伝えられるが、アウグストゥスはそれを許さず、作品は世に出た。『アエネーイス』はすぐにローマの学校で読まれる古典となり、以後、ラテン語を学ぶ者が必ず読む作品であり続けた。中世イタリアの詩人ダンテが『神曲』で、地獄と煉獄の道案内にウェルギリウスを選んだのも、その権威の表れである。
ウェルギリウスより一世代若い詩人が、オウィディウス(Ovid)である。前43年に生まれ、恋愛の詩で人気を集めた。代表作『変身物語』は全15巻の長い詩で、天地の始まりから、カエサルが死後に星となって神になるまでを、「姿を変える」話でつないでいく。ギリシア神話の数多くの話が、ここでラテン語の詩として語り直された。
月桂樹に変わるダプネ(Daphne)、水に映る自分に恋するナルキッソス(Narcissus)と声だけになったエコー(Echo)、触れるものが金になるミダス(Midas)、蝋の翼で落ちるイカロス(Icarus)、冥界へ妻を迎えに行くオルペウス(Orpheus)、自分の彫った像に恋するピュグマリオン(Pygmalion)。いま私たちが「ギリシア神話」として知っている話の多くは、オウィディウスの語り口を通して伝わったものである。終わり近くの巻ではアエネアスの旅やロムルスの神格化にもふれ、ギリシアの神話をローマの歴史へと流しこんで結ぶ。
ギリシア語の原典が西ヨーロッパで読まれなくなった中世にも、ラテン語の『変身物語』は読まれ続けた。そのため後の西洋の人々は、ギリシアの神々の物語を、しばしばローマの名前で、オウィディウスの語り方で知った。英語の文学に出てくる神話の多くがローマ名で書かれているのは、このためでもある。1567年にはゴールディング(Arthur Golding)による英訳が出て、シェイクスピアもこれを読んだと考えられている。
オウィディウスにはもう一つ、『祭暦』という作品がある。ローマの暦を1月から順にたどり、それぞれの祭りの由来を語る詩で、前の章で見たヤヌスやテルミヌス、フローラの話の多くはここに残っている。ただし書かれたのは前半の6か月分だけである。
その理由は、詩人の運命にあった。後8年、オウィディウスはアウグストゥスの命令で、黒海の岸の町トミスへ追放された。本人は理由を「一編の詩と、一つの過ち」と書いている。詩は恋の手ほどきを説いた『恋の技法』とされるが、過ちが何だったのかは語られず、今もわかっていない。オウィディウスは追放先から嘆きの詩を送り続けたが、ローマに戻ることは許されず、その地で没した。
同じ時代に、散文でローマの歴史を書いたのがリウィウスである。北イタリアのパタウィウム、今のパドヴァの人で、建国から自分の時代までを『ローマ建国以来の歴史』として書いた。全142巻のうち、今に残るのは35巻ほどである。この章で見たロムルスやヌマの話は、主にその第1巻による。
リウィウスは序文で、町が築かれる前の伝承は、確かな記録というより詩人の物語にふさわしいものだと書き、それを肯定も否定もしないと断っている。そのうえで、古い時代には神々と人間のことを混ぜて町の始まりを尊く見せることが許されている、とも述べている。神話と歴史の境目を自覚しながら、それでも建国の物語を語り継ぐ。その姿勢は、この章で見てきた物語の読み方そのものである。
ローマの建国神話は、ギリシアの文人にも語られた。同じアウグストゥスの時代にローマで暮らしたギリシア人ハリカルナッソスのディオニュシオスは『ローマ古代史』を著し、ローマ人がもとはギリシア系の民だと論じた。さらに後のプルタルコス(Plutarch)は、『英雄伝』の中でロムルスとヌマの伝記を書いている。
ローマは、トロイアから来たアエネアスと、雌狼に育てられたロムルスという2つの建国神話を、アルバ・ロンガの王統でつないだ。アエネアスはローマをギリシア神話の世界に結びつけ、ロムルスはローマの土地と町に根を与えた。サビニ人との和解とヌマ王の宗教の整えは、戦いで生まれた町が一つの国になっていく道筋として語られた。これらはあくまで伝承であり、リウィウス自身もそのことを自覚していた。
そしてこの物語を、ウェルギリウスはアウグストゥスの時代の叙事詩に、オウィディウスは神々の変身の物語に、リウィウスは歴史書に書きとめた。彼らのラテン語の作品は、ローマが滅んだあとも学校で読まれ、写され続けた。ギリシアの神々もまた、多くの場合このラテン語の窓を通して、後のヨーロッパ、そして英米へと伝わっていく。その道のりを、次の第3部でたどる。
建国神話には古代から異なる伝えがあります。ここでは主にリウィウスとウェルギリウスの語る形を書いています。
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