覚え帳 › ギリシア・ローマの神々 › 第2部 ローマの神々

第9章

ローマ独自の神々

前の章では、ローマがギリシアの神々を自分の神と重ね合わせていく流れを見た。この章では逆に、ギリシアに対応する相手のいない、ローマならではの神々を取り上げる。門の神ヤヌス、家の神々、畑の境界石、そして「自由」や「信義」といった価値そのものの神である。そこには、物語より働きを重んじるローマ人の神の考え方がよく表れている。

物語のない神々

ギリシアの神々は、まず物語の主人公である。ゼウス(Zeus)は父を倒して王になり、妻のヘラと争い、多くの子をもうける。神々には顔があり、性格があり、家族がある。第1部で見てきたとおり、ギリシア神話の面白さはこの人間くさい神々のふるまいにあった。

ローマの古い神々は、これとかなり様子が違う。名前と働きははっきりしているのに、物語がほとんどない。誰の子なのか、どんな恋をしたのかが語られない神が多い。ローマ人にとって大事だったのは、その神が「何をしてくれるか」と「どう祀れば機嫌をそこねないか」だった。

この感覚をよく表すのが、ヌーメン(numen)というラテン語である。もとは「うなずき」を意味し、そこから神の意志や、ものごとに宿って働く神的な力を指すようになった。門には門の、かまどにはかまどの、境界には境界の力が宿る。その力に名前を与えて祀ったのが、ローマの神々の多くの出発点だったと考えられている。

古い祈りの言葉には、この考え方がそのまま残っている。ローマの神官たちは、畑を耕す、種をまく、刈り取るといった作業の一つ一つについて、祈るべき神の名を書き並べた表を持っていた。後の時代、キリスト教の側に立ったアウグスティヌス(Augustine)は『神の国』でこうした神々を取り上げている。扉にはフォルクルス、蝶番にはカルデア、敷居にはリメンティヌスがいたと書き、一つの家の入口に神が3柱も要るのかとからかった。からかいではあるが、ローマの神の細かな分業ぶりを伝える証言でもある。

ローマの学者ウァロ(Varro)が、古いローマ人は長いあいだ神の像を作らずに祀っていたと書いたことも、同じ『神の国』を通して伝わっている。神は姿より先に、働きとして感じとられていた。そこへエトルリアやギリシアから、像を持ち、物語を持つ神々が入ってきた。その流れは第7章と第8章で見たとおりである。

祀り方もまた、きちょうめんだった。決まった言葉を一字もまちがえずに唱え、決まった日に決まった供え物をする。手順を誤れば最初からやり直した。人が務めを果たせば、神も守りを果たす。この関係は、ラテン語の「与えるから、与えよ(do ut des)」という言い回しで説明されることがある。ローマの宗教は、心の中の信仰というより、神々との約束を守り続ける営みだった。

ヤヌス 門と始まりの神

ローマ独自の神の代表がヤヌス(Janus)である。前と後ろの両方を向く2つの顔で表される。門や出入口の神であり、そこから、ものごとの始まりと終わりの神ともなった。ラテン語で扉を意味する ianua や、通り抜ける門を意味する ianus は、この神の名と同じ語である。

出入口は、内と外、前と後の境目である。家を出るとき、町の門をくぐるとき、人は一つの場所から別の場所へ移る。その移り目を見張るのがヤヌスで、2つの顔は入ってくる者と出ていく者の両方を見るための顔だった。ギリシアの神には、これに当たる神がいない。

始まりの神であるヤヌスは、祈りの最初に名を呼ばれた。神々の王ユピテル(Jupiter)よりも先である。何かを始めるときは、まず入口の神にあいさつしてから本題に入る。この順序は、ヤヌスの位置をよく示している。最高の神ではないが、何事も彼を通らなければ始まらない。

ローマの中心広場フォルムには、ヤヌスの神殿があった。神殿といっても大きな建物ではなく、両側に扉のある門の形をしていたと伝えられる。この扉は、ローマがどこかで戦争をしているあいだは開けておき、全土が平和になったときだけ閉じる決まりだった。ローマはほとんど常にどこかで戦っていたので、扉が閉じられることはめったになかった。

初代皇帝アウグストゥス(Augustus)は、自分の業績を記した碑文の中でこの扉にふれている。建国から自分が生まれるまでに扉が閉じられたのは2度しかないと記録されているのに、自分の治世には元老院が3度閉じることを決めた、というのである。扉を閉じることは、平和をもたらした支配者であることの何よりの証しだった。

ヤヌスの名は英語にも残っている。1年の最初の月 January は、ラテン語の Januarius(ヤヌスの月)から来ている。年の入口の月に、入口の神の名が付いたわけである。また Janus-faced は「裏表のある」という意味で使われる。もとは前後を見守る頼もしい顔だったものが、英語では二面性のたとえになった。

クィリヌスと古い3柱

ローマには、ユピテル、マルス(Mars)、クィリヌス(Quirinus)の3柱を並べて重んじる古い伝統があった。3柱にはそれぞれ専属の大神官(フラメン)が置かれ、神官の中でも特に格が高かった。後の時代に国の中心となったカピトリウムの3柱、つまりユピテル、ユノ(Juno)、ミネルウァ(Minerva)よりも古い組み合わせと考えられている。

このうちユピテルとマルスは、のちにギリシアのゼウスとアレスに重ねられた。ところがクィリヌスには重ねる相手がいなかった。そのため、ギリシア神話から入ると、この神はほとんど目に入らない。けれども古いローマでは、ユピテル、マルスと肩を並べる大きな神だったのである。

クィリヌスがもともと何の神だったのかは、はっきりしない。ローマの七つの丘の一つクィリナリスの丘はこの神の名を持ち、ローマ市民は自分たちを「クィリテス」と呼んだ。どちらも同じ語の仲間とされる。もとは近くに住んでいたサビニ人の神だったという説もあるが、確かめられてはいない。

はっきりしているのは、後の時代にクィリヌスが、神になった建国者ロムルス(Romulus)と同じ神とされたことである。ロムルスは嵐の中で姿を消し、神クィリヌスになったと語られた。こうしてクィリヌスは、ローマの民そのものを表す神としての色合いを強めていく。この話は、次の章でロムルスの物語と合わせて改めて取り上げる。

家の神々 ラレス、ペナテス、ゲニウス、マネス

ローマの宗教は、国の大きな神殿だけでなく、一軒一軒の家の中でも営まれていた。むしろ家こそが、ローマ人がいちばん身近に神々とつき合う場だった。家の祀りを取りしきったのは家長である。家族の暮らしを守る神々には、いくつかの種類があった。

まずラレス(Lares)である。家を守る霊で、家ごとに小さな祠があった。この祠はララリウムと呼ばれ、ポンペイの遺跡などで、壁のくぼみや小さな神殿の形をしたものが数多く見つかっている。家族の祝い事や毎日の食事のたびに、ここに供え物がされた。ラレスは家だけでなく、十字路や町全体も守った。十字路のラレスの祭りは、近所の人々がそろって祝う行事だった。

次にペナテス(Penates)である。名前は食料庫を意味する penus から来たとされ、家の食べ物と暮らしの守り神だった。家では、かまどの女神ウェスタ(Vesta)とともに炉のそばで祀られ、食事の一部が供えられた。国にも国のペナテスがあり、それはトロイアの英雄アエネアス(Aeneas)が燃える町から運び出したものだと伝えられた。家の神と国の神が、同じ形で重なっているのがローマらしい。

英語には lares and penates という言い方があり、「家財、大事な持ち物、家庭」を意味する古風な表現として文学に現れる。家の神々の名が、そのまま家の中の大切なもの全体を指すようになったのである。

3つ目がゲニウス(Genius)である。人それぞれに付いている守護霊で、とくに家長のゲニウスは家の祠でラレスとともに祀られた。誕生日には自分のゲニウスに酒や花、香を供えた。女性の守護霊はユノと呼ばれた。名は「生む」を意味するラテン語と同じ根とされ、その人の生まれ持った力を表していた。

ゲニウスは人だけでなく、場所にも付くと考えられた。ある土地の守護霊をゲニウス・ロキ(genius loci)という。英語ではこれが「その場所らしさ、土地の持ち味」という意味で、庭づくりや建築の話によく使われる。また英語の genius は、「その人に宿る霊」から「生まれつきの才能」、さらに「天才」へと意味を移した。

最後にマネス(Manes)がある。死者の霊のことで、亡くなった家族は祖先の霊として敬われた。ローマの墓碑の冒頭によく刻まれている「D.M.」という2文字は、「マネスの神々へ(Dis Manibus)」の略である。2月には、亡くなった家族を祀る行事が営まれた。生きている家族と死んだ家族が、同じ家の神々のもとでつながっていた。

こうした家の祀りは、地味だが長く続いた。国の神殿の祭りが政治と結びついて移り変わっても、家の祠への供え物は日々の暮らしの一部として残った。アウグストゥスは十字路のラレスの祭りを整え、そこに自分のゲニウスを合わせて祀らせた。皇帝が人々の身近な信仰の中に入りこもうとしたことは、家の神々がそれだけ大切にされていた証しでもある。

土地と暮らしの神々

ローマはもともと農民の国だった。畑の境、花の季節、果樹の実り、そして戦争。暮らしの節目ごとに、それを受け持つ神がいた。

テルミヌス(Terminus)は境界石の神である。隣り合う土地の境に置かれた石そのものが、神として祀られた。境界石を動かすことは重い罪とされた。2月23日の祭りテルミナリアでは、隣り合う土地の持ち主どうしが境界石に花輪をかけ、供え物をした。境界をめぐる争いを、神を間に置くことで鎮めるしくみだったといえる。

テルミヌスには有名な話がある。カピトリウムの丘にユピテルの神殿を建てることになったとき、そこにいた神々はみな場所を譲った。ところがテルミヌスだけは動かなかった。そこで神殿の中に境界石を残し、その真上の屋根には空に通じる穴を開けたと伝えられる。ローマ人はこれを、ローマの境界は決して後退しないというしるしと受けとった。英語の terminus(終点、終着駅)や terminal、terminate は、この神と同じ語から来ている。

フローラ(Flora)は花と春の女神である。4月の末から5月の初めにかけて、祭りフロラリアが行われた。この祭りの見世物は前173年から毎年の行事になったとされる。詩人オウィディウス(Ovid)は、フローラはもとギリシアのニンフのクロリスで、西風にさらわれて妻になり、花を司るようになったと語らせている。けれども祭りや神官はローマで古くからのもので、ギリシアの神をもとにした神ではない。英語の flora(ある地域の植物相)や floral に名が残る。

ポモナ(Pomona)は果実と果樹の女神、ウェルトゥムヌス(Vertumnus)は季節の移り変わりの神である。この2柱には珍しく物語がある。オウィディウス『変身物語』によれば、ポモナは果樹の手入れだけを愛し、言い寄る者を果樹園に入れなかった。ウェルトゥムヌスは刈り手や農夫などに次々と姿を変えて近づき、最後は老婆の姿で語りかけたあと、若者の姿に戻って彼女の心を得たという。移り変わりの神らしい話である。

ベッローナ(Bellona)は戦争の女神である。その神殿は前296年に誓願され、市の聖域の外にあるマルスの野に建てられた。神殿の前には戦争の柱があり、敵国の方角へ槍を投げることで宣戦の儀式とした。元老院は、市内に入れない外国の使節や、凱旋を求めて帰ってきた将軍とこの神殿で会ったとされる。戦争を始めるにも、決まった神の前で決まった手順を踏む。ここにもローマ人の神とのつき合い方がよく出ている。

徳目の神々 価値そのものを祀る

ローマの神々の中でもっともローマらしいのが、徳目の神々かもしれない。ローマ人は、自由、正義、平和、信義といった大切な価値そのものを女神として祀り、神殿を建てた。抽象的な考えを神として拝むのは奇妙に思えるが、ヌーメンの考え方からすれば自然である。門に門の力が宿るように、約束を守る心には信義の力が宿る。その力に名を与えて祀ったのである。

中でも古いのがフィデス(Fides)、信義の女神である。歴史家リウィウス(Livy)は、2代目の王ヌマ(Numa)がフィデスに毎年の祀りを定めたと伝えている。約束を守ること、とくに国と国、人と人との誓いを守ることは、ローマの社会の土台と考えられていた。英語の fidelity(忠実)や bona fide(誠実な、本物の)はこの語から来ている。

ピエタス(Pietas)は、神々と祖国と家族への務めを果たす心である。日本語の「敬虔」にあたるが、神への信心だけでなく、親や国への義務も含む広い言葉だった。次の章で見るアエネアスは、このピエタスを体現した英雄として描かれる。英語の piety(信心)や pity(あわれみ)はこの語の子孫である。

リベルタス(Libertas)は自由の女神である。アウェンティヌスの丘に神殿があり、前3世紀に建てられたと伝えられる。奴隷を解放するときにはフェルト帽と杖が使われ、これがリベルタスの持ち物になった。王を追い出して共和政を始めたローマにとって、リベルタスは国の誇りであり、共和政の象徴として硬貨にも刻まれた。

ほかにも、正義のユスティティア(Justitia)、平和のパクス(Pax)、調和のコンコルディア(Concordia)、希望のスペス(Spes)、勇気のウィルトゥス(Virtus)、安全と健康のサルス(Salus)などがいた。アウグストゥスの時代には、平和の祭壇アラ・パキスが前9年に奉献された。帝政期の硬貨の裏面には、こうした徳目の女神の姿がくり返し刻まれている。皇帝は、自分の治世が平和や調和や正義をもたらしていることを、これらの女神の姿で示したのである。

徳目の神々は、ローマが滅んだあとも姿を変えて生き残った。神として拝まれることはなくなったが、価値を女性の姿で表す「擬人像」として、ヨーロッパの美術や彫刻に受け継がれた。ニューヨークの自由の女神はリベルタスの姿にならったものであり、英米の裁判所に立つ、天秤と剣を持つ正義の女神はユスティティアの子孫である。その長い道のりは、第11章で改めてたどる。

この章のまとめ

ローマ独自の神々は、ギリシアの神々のように物語の主人公ではなかった。門、かまど、食料庫、境界石、花、果実、そして信義や自由といった価値。それぞれのものごとに宿る力(ヌーメン)に名を与え、決まった手順で祀ることが、ローマ人の神とのつき合い方だった。ヤヌスが祈りの最初に呼ばれ、家の祠に毎日供え物がされ、境界石に花輪がかけられた。神は遠い山の上ではなく、暮らしの節目ごとにいた。

このような神々には、語るべき物語が少ない。そこでローマは、自分たちの物語を別の形で持とうとした。それが、トロイアから来た英雄と、雌狼に育てられた双子の建国神話である。次の章では、その物語と、それを語った詩人たちを見ていく。

出典

ローマの古い神々は記録が少なく、起源には諸説があります。ここでは代表的な説を書いています。

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