覚え帳 › ギリシア・ローマの神々 › 第1部 ギリシアの神々
第6章
ギリシア神話の英雄の時代は、トロイア戦争とその後の帰郷の物語で頂点を迎える。この章では、戦争の発端からトロイアの陥落、英雄たちの帰り道までを順にたどる。あわせて、アテネの悲劇がこれらの神話をどう語り直したか、そして遺跡から見た「史実のトロイア」についても見ていく。
トロイア(Troy)は、小アジア(いまのトルコのアジア側)の北西の端、エーゲ海から黒海へ抜ける海峡の入口近くにあった町だ。ギリシア語ではイリオス(Ilios)とも呼ばれ、『イーリアス』という題は「イリオスの歌」という意味である。神話では、この町をギリシア中の王たちが10年にわたって包囲したとされる。
発端は、ある結婚式だった。海の女神テティス(Thetis)と、人間の王ペレウス(Peleus)の婚礼である。神々はそろって招かれたが、争いの女神エリス(Eris)だけは呼ばれなかった。怒ったエリスは「最も美しい女神へ」と書いた黄金のリンゴを宴の席へ投げ込んだと語られる。英語の apple of discord(争いの種)は、このリンゴのことだ。
このリンゴをめぐって、三柱の女神が争った。神々の女王ヘラ(Hera)、知恵と戦いの女神アテナ(Athena)、愛と美の女神アフロディテ(Aphrodite)である。神々の王ゼウス(Zeus)は自分で裁くのを避け、トロイアの王子パリス(Paris)に判定をゆだねた。これが「パリスの審判」である。
女神たちはそれぞれパリスに見返りを約束した。ヘラは広い国の支配を、アテナは戦いでの勝利を、アフロディテは世界一の美女を差し出すと言った。パリスはアフロディテを選んだ。その美女とは、スパルタ王メネラオス(Menelaus)の妻ヘレネ(Helen)だった。ヘレネはゼウスの娘とされ、その美しさで知られていた。
ヘレネの結婚には前段がある。ギリシア中の王子たちが求婚に集まったとき、選ばれなかった者が争いを起こさないよう、全員が「選ばれた夫に何かあれば力を貸す」と誓いを立てていたと伝えられる。パリスがスパルタを訪れてヘレネを連れ去ると、この誓いがギリシア中の王たちを戦争へ引き込んだ。
総大将になったのは、メネラオスの兄でミュケナイの王アガメムノン(Agamemnon)である。軍勢はギリシア本土の港アウリスに集まったが、風が止まって船が出せなくなった。狩りの女神アルテミス(Artemis)の怒りが原因だと告げられ、アガメムノンは娘イピゲネイア(Iphigenia)を生贄に差し出したと語られる。別の伝えでは、最後の瞬間にアルテミスが娘を鹿とすり替えて救ったともいう。どちらの結末を取るかで、後の悲劇の書き方が大きく変わる。
こうした発端の物語は、実はホメロスの二つの叙事詩にはほとんど書かれていない。『イーリアス』の前後を語る叙事詩はほかにもあったが、本文は失われ、後世の要約や断片で筋が分かるだけである。後の作家たちは、この空白を埋めるようにして物語を語り継いだ。
ホメロス(Homer)の『イーリアス』は、10年の戦争のすべてを描くわけではない。舞台は戦争の10年目、それもわずか数十日間に絞られている。24の巻に分けられる長い詩だが、扱う時間は短い。ホメロスという詩人と、詩が形づくられた時代については第1章で触れた。
詩の冒頭の一語は、ギリシア語で「怒り」(メーニス)である。「歌え、女神よ、ペレウスの子アキレウス(Achilles)の怒りを」と始まる。この作品の主題は、戦争そのものより、一人の英雄の怒りとその結果なのだ。
その英雄アキレウスは、テティスとペレウスの子である。ギリシア軍で最も強い戦士だった。事の起こりは、アガメムノンがアポロン(Apollo)の神官の娘を捕虜として手元に置いたことだった。アポロンは軍に疫病を送り、アガメムノンはしかたなく娘を返す。その埋め合わせとして、彼はアキレウスが戦利品として得た女性ブリセイスを取り上げた。
面目をつぶされたアキレウスは、陣営に引きこもって戦いから身を引く。さらに母テティスに頼み、ゼウスにトロイア側を勝たせてもらう。アキレウスのいないギリシア軍は押され、浜に並べた船のそばまで追い詰められていく。陣営にこもってすねるアキレウスの姿から、英語には sulk in one's tent(へそを曲げて引きこもる)という言い方が生まれた。
この間、神々も地上の戦いに加わる。トロイア側にはアフロディテ、アポロン、戦いの神アレス(Ares)がつき、ギリシア側にはヘラ、アテナ、海の神ポセイドン(Poseidon)がつく。神々は人間の戦士を励まし、ときに傷つきもする。ただ、最後に死ぬのは人間だけだ。この対比が、詩全体に深い陰影を与えている。
転機は、アキレウスの親友パトロクロス(Patroclus)の出陣だった。見かねたパトロクロスは、アキレウスの鎧を借りて戦場へ出る。トロイア軍をいったん押し返したが、トロイア最強の英雄ヘクトル(Hector)に討たれてしまう。ヘクトルはパリスの兄で、王の長男である。
親友の死で、アキレウスの怒りはアガメムノンからヘクトルへ向きを変える。鍛冶の神ヘパイストス(Hephaestus)が新しい鎧と盾を作り、その盾に刻まれた町や畑の情景が長く描かれる場面は有名だ。戦場に戻ったアキレウスはヘクトルを倒し、その遺体を戦車につないで引きずった。
詩の最後の巻で、トロイア王プリアモス(Priam)が動く。老王は神々の使者ヘルメス(Hermes)に導かれ、夜にひとりで敵陣のアキレウスを訪ねる。そして息子の遺体を返してほしいと願う。アキレウスは、故郷に残した自分の老いた父を思って涙し、遺体を返す。敵同士が同じ悲しみを分け合うこの場面は、『イーリアス』の頂点とされる。詩はヘクトルの葬儀で終わり、トロイアの陥落もアキレウスの死も描かれない。
アキレウスは、自分が若くして死ぬ運命にあることを知っていた。『イーリアス』の中でも、それは何度も予告される。後の伝えでは、アキレウスはパリスの放った矢に倒れ、その矢はアポロンが導いたとされる。
よく知られた「かかと」の話は、ホメロスには出てこない。「母テティスが赤子のアキレウスを冥界の川ステュクスに浸して不死身にしたが、つかんでいたかかとだけが水に触れず弱点になった」という話だ。これはずっと後、1世紀のローマの詩人スタティウス(Statius)の『アキレイス』に見えるものである。英語の Achilles' heel(唯一の弱点)や Achilles tendon(アキレス腱)は、この後の伝えから来ている。
アキレウスの死後、その鎧を誰が受け継ぐかで争いが起きた。鎧が知恵者オデュッセウス(Odysseus)に与えられると、怪力の英雄アイアスは屈辱から自ら命を絶ったと語られる。この話は、のちにソポクレスの悲劇『アイアス』になった。
トロイアを落としたのは力ではなく策略だった。オデュッセウスの発案で、ギリシア軍は大きな木馬を作り、中に兵を隠した。木馬を浜に残して船で引き揚げ、撤退したように見せかけたのである。木馬の話は『オデュッセイア』にも短く出てくるが、詳しく語られるのはローマの詩人ウェルギリウス(Vergil)の『アエネーイス』第2巻だ。英語の Trojan horse(内部に入り込む害)は、コンピューターに入り込む悪意あるプログラムの呼び名にもなった。
『アエネーイス』では、トロイアの神官ラオコーン(Laocoon)が木馬を城内へ入れることに反対する。「たとえ贈り物を持ってきても、ギリシア人を恐れる」という言葉は、英語の Beware of Greeks bearing gifts(うまい話には気をつけろ)のもとになった。しかしラオコーンは、海から現れた二匹の大蛇に、息子たちとともに絞め殺される。トロイア人はこれを神の罰と受け取り、木馬を城内へ引き入れてしまう。
予言を信じてもらえなかった者は、もう一人いる。プリアモスの娘カッサンドラ(Cassandra)だ。彼女はアポロンから予言の力を授かったが、アポロンの求愛を拒んだため、「誰にも信じてもらえない」という呪いをかけられたと語られる。トロイアの滅亡を見通して叫んでも、耳を貸す者はいなかった。英語で a Cassandra といえば、正しい警告を無視される人を指す。
夜、木馬から兵が出て門を開け、引き返してきた軍勢が町になだれ込む。『アエネーイス』は、老王プリアモスが祭壇のそばで殺され、町が炎に包まれるさまを、トロイア側の目から描いた。生き残った王家の女性たちは捕虜としてギリシアの将たちに分け与えられ、カッサンドラはアガメムノンのものになった。敗れた側の女性たちの嘆きは、エウリピデスの悲劇『トロイアの女たち』の主題となっている。
戦争に勝っても、英雄たちの苦難は終わらなかった。ギリシア語で帰郷を「ノストス」と呼び、その複数形「ノストイ」は帰郷の物語群を指す。英語の nostalgia(郷愁)も、この「ノストス」と「痛み」を組み合わせて近代に作られた言葉だ。町を落とすときに神殿を汚した者もいたため、多くの将が神々の怒りを買い、嵐に遭ったり道に迷ったりしたと語られる。
無事に帰れた者もいる。老将ネストルはすぐに故郷へ戻り、メネラオスはヘレネを連れて、エジプトなどを回りながら長い年月の末に帰国した。『オデュッセイア』には、スパルタで再びヘレネと暮らすメネラオスの姿が描かれている。
最も悲惨だったのは総大将アガメムノンだ。カッサンドラを連れてミュケナイへ帰った彼は、妻クリュタイムネストラ(Clytemnestra)とその愛人アイギストスに殺された。カッサンドラもともに殺されたとされる。『オデュッセイア』でもこの事件は何度も語られ、夫を待ち続ける妻ペネロペ(Penelope)と対比されている。
この話を三部作の悲劇にしたのが、アイスキュロスの『オレステイア』(前458年上演)である。第1部『アガメムノン』では、妻が夫を殺す動機として、娘イピゲネイアを生贄にされた恨みが前面に出る。第2部『供養する女たち』では、息子オレステス(Orestes)が父の仇として母を討つ。
第3部『慈しみの女神たち』で、母殺しのオレステスは復讐の女神エリニュス(Erinyes)に追われる。最後はアテナがアテネに法廷を開き、市民の陪審が裁く。票は同数に割れ、アテナの一票でオレステスは許される。エリニュスはアテネの守り神として迎えられる。血の復讐の連鎖を、ポリス(都市国家)の法廷が断ち切るという筋立てだ。神話が、上演された時代のアテネの自画像にもなっている。
イタケ島の王オデュッセウスは、戦争に10年、帰りの旅にさらに10年をかけたとされる。その帰郷を歌うのが、ホメロスのもう一つの叙事詩『オデュッセイア』だ。これも24の巻に分けられている。冒頭の一語は「男」で、「多くの策をめぐらせた男のことを語ってくれ、ムーサ(Muse)よ」と始まる。帰り道を阻んだのは、息子を傷つけられて怒ったポセイドンだった。
この詩は、オデュッセウス本人からではなく、イタケ島に残された家族から始まる。主人の死を疑わない求婚者たちが館に居座り、妻ペネロペに再婚を迫っていた。息子テレマコス(Telemachus)はまだ若く、彼らを追い出せない。そこへアテナが姿を変えて現れ、テレマコスを励まして、父の消息を探す旅へ送り出す。
このときアテナが姿を借りた人物の一人が、オデュッセウスの古い友人メントル(Mentor)である。アテナはメントルの姿で若者に付き添い、助言を与えた。英語の mentor(指導者、助言者)はこの名から来ている。ただ、普通の言葉として広まったのは、17世紀末のフランスの作家フェヌロンが、テレマコスとメントルを主人公にした物語を書いてからとされる。
一方オデュッセウスは、女神カリュプソの島に7年引き止められていた。神々の決定でようやく解放されるが、いかだで出たところをポセイドンの嵐に襲われる。流れ着いたパイアケス人の国で王女ナウシカアに助けられ、王の宴の席で、これまでの旅を自ら語り始める。旅の大部分は、この回想として語られるのだ。
回想の順に追うと、こうなる。実を食べると故郷を忘れてしまう「ハス食い人」の国。英語の lotus-eater(安楽にふける人)はここから来た。次に、一つ目の巨人キュクロプス、ポリュペモスの洞窟。オデュッセウスは「誰でもない」と名乗って巨人を酔わせ、その目をつぶして逃げた。この巨人がポセイドンの息子だったことが、長い漂流のもとになる。
続いて、風の神から逆風を詰めた袋をもらうが、故郷を目前にして部下が開けてしまい、吹き戻される。人食いの巨人族に船の大半を沈められ、魔女キルケの島では部下を豚に変えられる。ヘルメスから授かった薬草で魔法を防ぎ、キルケのもとに1年とどまった。
その後、オデュッセウスは冥界の入口へ行き、予言者テイレシアスの霊から帰り道を聞く。母の霊や、アキレウスの霊にも会う。アキレウスが「死者すべての王になるより、地上で貧しい男に雇われて働くほうがよい」と語る場面は、『イーリアス』の栄光の裏側を見せている。
さらに、歌で船乗りを死に誘うセイレンの海を渡る。部下の耳を蝋でふさぎ、自分は帆柱に縛らせて歌を聞いた。六つの頭を持つ怪物スキュラと、海を飲み込む渦カリュブディスの間の海峡も抜ける。最後に、太陽神の島で飢えた部下たちが禁じられた牛を食べてしまう。船はゼウスの雷で砕け、オデュッセウスひとりが生き残ってカリュプソの島へ流れ着いた。ここで回想は、詩の始まりにつながる。
パイアケス人の船でイタケへ送り届けられたオデュッセウスは、アテナの助けで老いた乞食に姿を変え、まず忠実な豚飼いの小屋に身を寄せる。そこで旅から戻ったテレマコスと再会し、二人で館へ戻る。20年待った老犬アルゴスだけが主人に気づき、尾を振って息絶える場面はよく知られている。
ペネロペは、それまで知恵で求婚者たちをかわしてきた。「義父の死装束を織り終えたら再婚する」と約束し、昼に織った布を夜ごとほどいていたのだ。やがてペネロペは、オデュッセウスの弓を引いて矢を射通した者と結婚すると告げる。求婚者たちは誰も弓を引けず、乞食姿のオデュッセウスだけが引いた。そして正体を明かし、テレマコスとともに求婚者たちを討つ。
それでもペネロペはすぐには夫と認めない。寝台を動かすよう言いつけて試すと、オデュッセウスは、寝台は根を張ったオリーブの木を柱にして自分が作ったもので動かせないはずだと答える。二人しか知らない秘密で、ようやく夫婦は再会を果たす。詩の終わりでは、求婚者の身内との争いが起きかけるが、メントルの姿をしたアテナが仲裁して物語は閉じる。英語の odyssey(長い放浪の旅)は、この詩の題から来ている。
ホメロスの叙事詩から数百年後の前5世紀、アテネで悲劇という新しい形が花開いた。悲劇は、酒と演劇の神ディオニュソス(Dionysus)の祭りで上演された。春の大きな祭りでは、選ばれた詩人たちがそれぞれ悲劇三編と、陽気なサテュロス劇一編を出して競い合った。観客は市民で、上演は国家の宗教行事の一部だった。
悲劇の筋は、ほとんどが神話から取られた。観客はすでに結末を知っている。だから詩人の腕の見せどころは、筋そのものより、誰の目から語るか、なぜそうなったかを問い直すところにあった。同じ神話でも、詩人によって人物の動機や結末がまるで違う。
この時代の悲劇で、作品が今に残るのは主に三人だ。最も古いアイスキュロスは、『オレステイア』のように、神々の正義と人間の罪を大きな構えで描いた。ソポクレスは、限られた人物の中に逃れられない運命と人間の誇りを描き、緊密な筋立てで知られる。最も若いエウリピデスは、英雄や神々を疑いの目で見つめ、女性や敗者、ふつうの人の感情を前面に出した。
ソポクレスの代表作『オイディプス王』は、テーバイの王オイディプス(Oedipus)の物語である。彼は町を襲う疫病の原因を突き止めようとし、調べを進めるほど、自分こそが知らずに父を殺し、母を妻にした当人だと分かっていく。真実を知った彼は自ら目をつぶす。後の哲学者アリストテレスは、悲劇を論じた『詩学』で、この作品を手本のように扱っている。
オイディプスの娘アンティゴネ(Antigone)を描いたのが、同じソポクレスの『アンティゴネ』だ。王クレオンは、国に攻め寄せて戦死した彼女の兄の埋葬を禁じる。アンティゴネは、国の命令よりも神々の掟と家族の務めを選んで兄を弔い、罰として生きたまま閉じ込められる。国の法と人としての務めのどちらに従うかという問いは、今も繰り返し論じられている。
エウリピデスの『メデイア』(前431年上演)は、第5章で見たイアソン(Jason)の冒険のその後を描く。金羊毛を手に入れるのを魔術で助けた王女メデイア(Medea)は、異国のコリントスで夫イアソンに捨てられる。彼女は夫の新しい花嫁を殺し、さらに自分の子どもたちまで手にかけて夫に報いる。英雄イアソンは身勝手な男として描かれ、観客の目はむしろ、追い詰められた異国の女の側へ向けられる。
トロイア戦争の神話も、悲劇で何度も語り直された。エウリピデスの『トロイアの女たち』は、勝者ではなく、捕虜になる敗者の女性たちの嘆きを描く。同じエウリピデスの『ヘレネ』では、トロイアにいたのは神々が作った幻で、本物のヘレネはエジプトにいたという異説が使われている。叙事詩が英雄の栄光を歌ったのに対し、悲劇はその陰で苦しむ人々に光を当てたのである。
ここまでは神話、つまり語り継がれた物語の話である。では、トロイアという町は実在したのか。考古学の答えは「町は実在した。ただし戦争の物語がどこまで史実かは分かっていない」というものだ。
トルコ北西部、ダーダネルス海峡に近いヒサルルクの丘が、トロイアの遺跡とされている。ここを19世紀後半の1870年代に大規模に掘ったのが、ドイツの実業家ハインリヒ・シュリーマン(Heinrich Schliemann)だった。彼はホメロスの物語を史実と信じて発掘し、金の装身具などを見つけて「プリアモスの財宝」と呼んだ。
ところが、その後の調査で、遺跡は一つの町ではなく、何千年にもわたって同じ場所に町が建て直された積み重なりだと分かった。層は大きく第1市から第9市までに分けられている。シュリーマンの「財宝」が出た層は、トロイア戦争の時代とされる頃よりも千年以上古いものだった。また、彼の急いだ掘り方は、多くの層を壊してしまったとも批判されている。
伝説の戦争の舞台として有力視されてきたのは、後期青銅器時代の層、第6市の終わりから第7市の初めにかけてだ。この時期の町は堅固な城壁を持っていた。城壁の外にも町が広がっていたとする見方も、20世紀後半からの発掘で示されたが、その規模には議論がある。また、同じ時代に小アジアの中央部を本拠としたヒッタイトの記録には、「ウィルサ」という土地の名が出てくる。これがイリオスを指すという説は有力だが、すべての研究者が認めているわけではない。
それでも、ギリシア軍がトロイアを10年包囲した戦争が実際にあったかどうかは、決着していない。町が壊されたり焼けたりした跡はあっても、それが伝説の戦争と同じものだと示す証拠はない。ホメロスの詩は、長い口伝えの中で、異なる時代の記憶が混ざり合って形づくられたと考えられている。物語を歴史の記録として読むことも、まったくの作り話として退けることも、どちらも慎重であるべきだ。
シュリーマンはその後、アガメムノンの都とされるミュケナイも発掘した。そこで見つかった黄金の仮面は「アガメムノンの仮面」と呼ばれたが、これも伝説の時代より古いものと考えられている。名前が物語から付けられても、それが証拠になるわけではない。神話と史実を分けて考えるとは、こういうことだ。
トロイア戦争の神話は、結婚式に投げ込まれた一つのリンゴから始まり、パリスの審判とヘレネの連れ去りを経て、10年の戦争へ広がる。ホメロスの『イーリアス』はその10年目の数十日に絞り、アキレウスの怒りと和解を描いた。木馬とトロイアの陥落は、主にローマのウェルギリウスが詳しく語った。戦後の帰郷では、アガメムノンは家で殺され、オデュッセウスは10年の旅の末に家族のもとへ帰った。そしてアテネの悲劇詩人たちは、これらの神話を敗者や女性の目から語り直した。一方、遺跡のトロイアは実在するが、戦争そのものが史実かどうかは今も分かっていない。
トロイアが燃え落ちた夜、町を逃れた一人の英雄がいた。アフロディテの子アエネアス(Aeneas)である。『イーリアス』の中でも、彼は生き延びて、その子孫がトロイアの人々を治めると予言されている。老いた父を背負い、幼い息子の手を引いて燃える町を出たアエネアスは、長い放浪の末にイタリアへたどり着く。ローマ人は、このトロイアの生き残りを自分たちの祖先とした。その物語は第10章「建国神話と詩人たち」で取り上げる。次の第2部では、まずローマという国そのものの歴史と宗教から見ていく。
神話は異説が多いので、代表的な説を書いています。遺跡の年代や解釈は研究によって幅があります。
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